西陣で一番小さい機屋
前田眞三郎商店の眞三郎氏が新作を引っ提げて来場。 経糸3600本で織り上げた琥珀織の発表!![671D024E-EA44-40A1-99A6-F64DE74D00F3_1_105_c](https://kimono-koba.com/wp-content/uploads/2021/06/671D024E-EA44-40A1-99A6-F64DE74D00F3_1_105_c.jpeg)
西陣のいわれ
室町時代、我が国を二分する戦いとなった応仁の乱(1467-1477)が終わると、 各地に離散していた織物職人たちも京都に戻り、戦乱の際に山名宗全率いる 西軍の陣地が置かれていたあたりで、織物作りを再開します。 戦乱以前から織物の町として栄えていた京都北西部の一帯が「西陣」 と呼ばれるようになったのはこの頃からで、 西軍の陣地跡だから「西陣」というわけです。 今も上京区堀川通五辻西入るには、宗全の邸宅跡が残っています。西陣の起源は宮廷の織物作りから
京都で織物作りが始まったのは、桓武天皇によって平安京が築かれるよりも前の 5世紀頃のこと。また、平安遷都とともに宮廷の織物を管理していた 「織部司(おりべのつかさ)」と呼ばれる役所が置かれ、 今の上京区黒門上長者町あたりに住んでいた職人に、綾・錦など高級な織物作りを 奨励したのにともない、発展したといわれています。 平安時代も半ばを過ぎると、こうした官営の織物工房も衰えてきますが、 職人たちは織部司の東の大舎人町あたりに集まって住み、宮廷の管理下を離れた 自由な織物作りを開始。「大舎人(おおとねり)の綾」、「大宮の絹」などと呼ばれ る織物などが作られました。また、宋から伝えられた綾織の技を研究して、 独自の唐綾を開発。神社や寺院の装飾にふさわしい重厚な織物として重宝 されました。帯〆・帯揚下取り交換会
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