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小林呉服店のある伏見区周辺のご案内
納屋町商店街
納屋町商店街の歴史は古く、豊臣秀吉の伏見城築城と同時に城下町として誕生しました。 堀尾帯刀吉晴の邸地があったところから「帯刀町」と称するようになり、伏見の町が形成された 最初期から、南組の本町組を構成し、伏見市中の代表的な町の格式と伝統を誇っていました。その後、伏見市誕生に伴い三百年続いた「帯刀町」から町名は「納屋町」に改称となりましたが、 以前から通称「納屋町」と呼ばれていた歴史ある町名です。
納屋町商店街公認キャラクターなやまっち
「頭のマッチであなたの心に火を灯す」宇宙からきた、納屋町商店街のキャラクター。伏見桃山城
秀吉が築き、家康が建てなおした名城
伏見城は3度にわたって築城され、1592年に指月山に築かれたものを指月山伏見城、後に木幡山に再築されたものを木幡山伏見城と呼んで区別され、さらに木幡山伏見城は豊臣期のものと、伏見城の戦いで焼失した跡に、徳川家康によって再建された徳川期とにわけられます。豊臣期の伏見城は、豪華な様式が伝わります。
秀吉の死後豊臣秀頼が大阪城に移ると、代わって徳川家康がこの城に入り政務を行いました。関ヶ原の戦いの際には、家康の家臣である鳥居元忠らが伏見城を守っていましたが落城。建物の大半が焼失しました。
焼失した伏見城は1602年ごろ家康によって再建され、1619年に廃城とされました。この時、建物や部材は、二条城、淀城、福山城などに移築されました。伏見城の後には元禄時代ごろまでに桃の木が植えられ、桃山と呼ばれるようになり、やがて伏見城は桃山城、あるい伏見桃山城と呼ばれるようになりました。
御香宮神社
地元では「ごこんさん」の愛称で親しまれている。
秋の神幸祭が有名で、お神輿の巡行の前日に各町内から花傘がたくさん出る。
日本第一安産守護之大神として広く崇められている神功皇后を主祭神として、仲哀天皇、応神天皇他六柱の神をまつる。 初めは「御諸神社」と称したが、平安時代貞観四年(862)九月九日に、この境内から「香」の良い水が湧き出たので、清和天皇よりその奇瑞によって「御香宮」の名を賜った。 豊臣秀吉は天正一八年(1590)願文と太刀(重要文化財)を献じてその成功を祈り、やがて伏見築城に際して、城中に鬼門除けの神として勧請し、社領三百石を献じた。 その後、徳川家康は慶長十年(1605)に、元の地に本殿を造営し社領三百石を献じた。 慶応四年(1868)正月、伏見鳥羽の戦いには、伏見奉行所に幕軍が據り、当社は官軍(薩摩藩)の屯所となったが、幸にして戦火は免れた。 10月1日から9日までの神幸祭は(年によって日がかわります)伏見九郷の総鎮守の祭礼とされ、古来「伏見祭」と称せられ、今も洛南随一の大祭として聞こえている。
伏見稲荷大社
今や世界一の観光名所!
伏見稲荷大社は京都市伏見区にある神社。旧称は稲荷神社。式内社、
二十二社の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。
稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。 全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社である。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める。
三栖の閘門(みすのこうもん)
三栖閘門は伏見港と宇治川を結ぶ施設として1929(昭和4)年に造られました。
2つのゲートで閘室内の水位を調節し、水位の違う濠川と宇治川を連続させて、
船を通す施設です。
昔は、たくさんの船が閘門を通って、伏見と大阪の間を行き来していました。
現在、道路や鉄道の発達にともない、交通路としては利用されていませんが、地域との関わりが深く、歴史的にも大変貴重な施設です。
※濠川(ごうかわ)は、「ほりかわ」とも呼ばれています。
寺田屋
龍馬が逗留していた寺田屋。
昔ながらの面影を感じさせるこの史跡を訪ねる人々は多い。
鳥羽伏見の戦(1868年=慶応4年1月3日)で、この一帯は激戦地となり、かつての建物は焼失したことを京都市が確認した。
かつての建物があった場所は、現在、史跡庭園の趣となっており、龍馬像も建つ。西側の旅籠は、旧宅にならう形で明治期に建てられたという。庭園にある寺田屋騒動(1862年=文久2年)で戦死した倒幕派薩摩藩士の石碑には、旧宅の跡であることを示す「遺址」の文字も見られる。
寺田屋の旧跡地、旅籠の建屋は見学が可能(10:00から15:40まで受付、16:00営業終了、大人400円)。
蓬莱橋(ほうらいばし) 豪川
京都の南、伏見の中書島(ちゅうしょじま)。現在は有名酒造メーカーの酒蔵めぐりや坂本龍馬の所縁の寺田屋などを訪れる方々で人気の中書島ですが、かっては(江戸・元禄期より)遊所(遊郭)として知られた場所でした。
宇治川派流に架かる蓬莱橋から西側の眺め・・右側に寺田屋(鳥羽伏見の戦で焼失)が幕末には見えていました・・左岸に中書島遊郭・・この橋・流れを龍馬・お龍さんも眺めたはず 蓬莱橋(ほうらい)は幕末当時はもちろん木橋・・コンクリート橋は昭和5年3月の竣工。
松本酒造酒蔵
初代松本治兵衛により寛政3年(1791)東山の八坂弓矢町にて商号を「澤屋」として創業されました。
大正12年名水を求め現所在地に酒造場を増設され「日出盛」の拠点となりました。
昭和58年吟醸純米酒「桃の滴」を発売、平成10年には原料処理装置の環境が新しく整備され、
ました。また、松本酒造では、仕込蔵やレンガ煙突、万暁院等の保存や活用により、京都の酒屋らしく、酒造りの文化、歴史、伝統そして風土を守り続けて行こうと考えられております。
当蔵の諸施設は、下記の指定を受けておられます。
平成9年 京都市「歴史的意匠建造物」
平成19年 経済産業省「近代化産業遺産」
平成20年 文化庁「登録有形文化財」
平成21年 京都市「重要景観建造物」
伏見十石船
江戸時代に淀川を渡り伏見~大阪間を往来した客船は三十石船と呼ばれ、明治末期頃までその姿が見られた
1997年(平成9年)、屋形船の遊覧船として復活した。