【店主コラム】葉月の空に燃ゆ、祈りの炎。〜「おしょらいさん」と大文字の送り火〜
皆様、こんにちは。伏見の小林呉服店、店主でございます。
日頃は当店をご愛顧いただき、心より御礼申し上げます。
八月を迎え、京都の街は連日、うだるような厳しい暑さが続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
京都の夏は昔から「油照り」とも称され、三方を山に囲まれた盆地特有の、風が抜けないじっとりとまとわりつくような暑さが特徴です。
しかし、そんな息苦しいほどの暑さの中だからこそ、先人たちは日々の暮らしの中に「涼」を呼ぶための様々な工夫を凝らし、それを美しい文化として根付かせてきました。
当店、小林呉服店の店先にも、この時期には「絽(ろ)」や「紗(しゃ)」といった透け感のある夏物のお着物や、
目にも涼やかな麻の帯、そして色鮮やかでどこか懐かしい風合いの浴衣が並んでおります。
藍色や白地に朝顔、優雅に泳ぐ金魚、あるいは少し季節を先取りした萩や桔梗といった秋草の模様など、
柄行や色合いで「涼」を演出するのは、日本の伝統的な装いの素晴らしさであり、着物ならではの醍醐味とも言えます。
さて、葉月(八月)の京都といえば、街全体がお盆の行事で厳かに、そしてどこか郷愁を誘う空気で包み込まれます。
今回のコラムでは、京都の八月の風物詩である「おしょらいさん」のお迎えから、
夏の夜空を焦がす一大行事「送り火」の歴史と謂れについて、私自身の思いも交えながら、少し詳しくお話しさせていただきたいと思います。
■ ご先祖様をお迎えする「おしょらいさん」と六道まいり
京都の八月は、ご先祖様の霊である「おしょらいさん(お精霊さん)」をお迎えする準備から本格的に幕を開けます。
京都の人々は、ご先祖様の霊に対して深い親しみと敬意を込めて「おしょらいさん」と呼び、お盆の期間中は家族と共に過ごす大切な客人として、とても丁寧におもてなしをいたします。
おしょらいさんをお迎えするための代表的な行事として古くから親しまれているのが、毎年八月七日から十日にかけて行われる「六道まいり」です。
東山区の松原通に位置する六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は、古来より現世と冥界(あの世)の境界線である「六道の辻」があると信じられてきました。
お盆の時期になると、普段は静かな松原通も、お迎えへと向かう人々で身動きが取れないほどの賑わいを見せます。
境内には「迎え鐘」と呼ばれる有名な鐘があり、その音は冥界まで届くと言い伝えられています。
お堂から伸びる綱を引いてこの鐘を撞くことで、おしょらいさんをこの世に呼び戻すのです。
ゴーン、ゴーンと響く音を聞いていると、目に見えないご先祖様がすぐそばまで帰ってきているような、不思議で厳かな気持ちになります。
そして門前で「高野槙(こうやまき)」を買い求め、おしょらいさんがこの槙の枝葉に乗って家まで一緒に帰ってくるとされているのです。
家に帰り着くと、今度は仏前などに「精霊棚(しょうりょうだな)」をしつらえます。
真菰(まこも)を敷いた棚の上に、おしょらいさんが宿った高野槙を大切にお祀りし、水の子(洗米と賽の目に刻んだナスやキュウリを混ぜて蓮の葉に盛ったもの)や、
お迎え団子、ほおずきなどを色鮮やかにお供えして、迷わず家の中へとご案内します。
お盆の期間中、家の中はいつもとは違う特別な空気に包まれます。
家族みんなで食卓を囲みながら、かつて共に過ごした故人の思い出話に花を咲かせる時間は、何にも代えがたいひとときです。
■ 祈りの炎「送り火」に込められた精神
そして、お盆の終わりを告げるのが、八月十六日の夜に行われる五山送り火です。
さて、全国的なニュースなどでは時折、この行事を「大文字焼き」と紹介されることもございますが、実は私たち京都に暮らす者は、この言葉をほとんど使いません。
というのも、この行事は単なる山を焼くお祭りやイベントではなく、お盆の間一緒に過ごした「おしょらいさん」を、再び無事にあの世へと送り届けるための、極めて厳粛で神聖な精霊送りの仏教行事だからなのです。
「焼き」と申しますと、どうしてもそうした祈りの精神が少し薄れ、物を燃やしているかのような響きになってしまう気がいたしまして、私たちは深い敬意と祈りを込めて「送り火」、
あるいは親しみを込めて「大文字さん」と呼んでおります。
夜空に赤々と燃え上がる炎は、ご先祖様が迷わずあの世へ帰るための「道しるべ」であり、「また来年お会いしましょう」という深い祈りの炎であることを、ぜひ心に留めていただければと存じます。
午後八時、東山如意ヶ嶽(にょいがたけ)の「大文字」に火が灯されるのを皮切りに、松ヶ崎西山・東山の「妙・法」、西賀茂船山の「船形」、大北山の「左大文字」、
そして嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」と、順次、京都の街を囲む山々に巨大な火の文字や形が浮かび上がります。
街の灯りが少し落とされ、静寂に包まれた暗闇の中にぽっかりと浮かび上がる炎は、この世のものとは思えないほどの幽玄の美しさを秘めています。
■ かつては「十山」もあった送り火の歴史
この送り火の起源については、実は明確な公式記録が残されておらず、謎に包まれています。
弘法大師(空海)が疫病退散を願って始めたという説や、室町時代に八代将軍・足利義政が我が子の菩提を弔うために始めたという説など数多くの伝説が存在しますが、
確実な記録として文献に登場するのは江戸時代初期のことです。
現在でこそ「五山」として広く知られておりますが、その昔、送り火は五山だけでなく、実に「十山」ほどもあったと言われているのをご存知でしょうか。
江戸時代から明治時代にかけての記録や絵図には、現在の五山に加えて、「い(かな文字のい)」「一(一文字)」「蛇」「長刀(なぎなた)」「竹の台」など、様々な形や文字の送り火が夏の夜空を彩っていたことが記されています。
しかし、時代の移り変わりとともに、山麓の宅地開発や資金難、また行事を担う人々の後継者不足などの理由により、それらの送り火は次第に姿を消していきました。
今私たちが目にしている五山は、幾多の困難を乗り越え、地域の人々の並々ならぬ努力と信仰心によって、現代まで奇跡的に守り継がれてきた尊い炎なのです。
■ 無病息災を願う護摩木と消し炭の風習
各山の送り火では、「護摩木(ごまぎ)」と呼ばれる木札を燃やします。
この護摩木には、ご先祖様の供養のために戒名を記すことはもちろん、自分自身の病気平癒や家内安全などの願い事を書き記すことができます。
皆様の祈りが書かれた何千、何万という護摩木が組み上げられ、あの巨大な炎を作り出しているのです。
また、送り火には古くから無病息災の民間信仰も強く結びついています。
例えば、火が点火された時、水の入ったお盆や盃にその火を映して飲むと中風(脳卒中など)にならないという言い伝えがあります。
また、火が消えた翌朝に山へ登り、燃え残った「消し炭」を拾って帰り、半紙に包んで家の門口に吊るしておくと、厄除けや泥棒除けの護符になるという風習も残っています。
我が家でも、代々この消し炭をいただきに行き、大切に飾っております。
■終わりに
八月十六日の夜、ご家族や親しい方々と共に送り火を見上げるのは、京都の夏ならではの美しい情景です。
凛とした風情のある綿紅梅(めんこうばい)や綿絽(めんろ)、あるいは通気性に優れ肌に心地よい綿麻素材の浴衣などを身に纏い、夕涼みがてら夜空を仰ぎ見る。
日本の伝統衣装は、こうした行事の場においてより一層その美しさを引き立て合い、着る人の心を豊かにしてくれます。
小林呉服店では、ご自宅でのお盆の集まりや、送り火のお出かけにふさわしい、涼やかで上品な夏物のお仕立てやコーディネートのご相談を喜んで承っております。
二代目として四十余年、着物に携わってきた経験を活かし、皆様の特別な一日を彩るお手伝いをさせていただきます。
晩夏とはいえ、まだまだ厳しい残暑は続くと思われますが、皆様におかれましても、どうかお身体を大切になさいまして、心穏やかなお盆をお過ごしくださいませ。
伏見にお越しの際は、ぜひお気軽にお立ち寄りください。